旅人の手記 三冊目 ‐ 蝉海のブログ -

日常のよしなし事や、マンガ・アニメ・ライトノベルなどのポップ・カルチャーに関する文章をつらつらと述べるブログ。その他の話題もたまに。とっても不定期に更新中。

三島由紀夫の『不道徳教育講座』が面白い

私が最近読んだ面白い本で、
『不道徳教育講座』(角川文庫)というものがあります。
著者は『金閣寺』や『仮面の告白』で知られる、三島由紀夫
本書は昭和33年(1958年)から翌34年(1959年)にかけて、
「週刊明星」で連載されたコラム・エッセイを収録したものです。

これは現代人(当時)の観察エッセイと言えるものなのですが、
その内容足るやら……。いやあ、とにかくひどい(笑)
「文豪の文章に対してひどいとは何だ」という声が聞こえてきそうですが、
ひどいとしか言いようのないのだから、そう言うよりない(笑)
一つの主題で対して、
4,5ページ位の文章を執筆したものを本書は収録しているのですが、
その命題からしてひど過ぎる。

「人に迷惑をかけて死ぬべし」「スープは音を立てて吸うべし」
「人の恩は忘れるべし」「沢山の悪徳を持て」
「できるだけ己惚れよ」「小説家を尊敬するなかれ」……

ワア、ひでえ(笑)
良識のある人ならば、これは如何なものかと感じ受ける主題ばかりでしょう。
しかし八方破れな印象の文言とは裏腹に、
いざ読んでみると、なかなかどうしてエスプリを感じさせてくれるのです。

例えば、「人の恩は忘れるべし」。
このことは「忘恩の徒」という言葉があるように、
倫理を背く行為として一般に認知されますが、
三島曰く、「恩を仇で返すことと、恩を忘れることは同一ではない」とのこと。
これは一体どういうことか。

例を挙げます。
職場や地元などでいつも顔を合わせる間柄の二者、
AさんがBさんがいたとしましょう。
そしてBさんはAさんに対して、過去に何らかの恩を施したとします。
そうして二人は、それ以来そのことを会う度に意識するようになりました。

A「ああ、あの人にはあれだけの恩があるのだ。」
B「ああ、この人にはこれだけのことをしてやったのだ。」

しかし彼らはそれを気にしすぎる余り、
やがてその「恩」が重荷になっていくのです。

A「Bさんには恩があるから逆らえないし、
  彼の前では、丁重な態度でなければならない。
  ああ、気が重い。Bに会いたくないなあ。」
B「Aさんには、あれだけのことをしてやったのに、
  なんで余所余所しい態度を取るんだ。
  恩をかけてやってのに、そのお返しはどうしたのだ。気に食わない。
  あんな奴に恩なんかかけるんじゃなかった。」

このように、恩をかけた側も恩をかけられた側も、
いつまでもそのことを過度に引き摺っていると、結局恩を仇で返すことになる。
従って、恩というのは一時で忘れてしまった方が、
それぞれの人生において可能性が開ける、というのが三島の持論なのです。

まあこれでも、暴論なことには変わりありません(笑)
結局何が言いたいのかというと、この文章が意味するところは、
そうした一般的な認識や風習に対しての、諷刺であるということです。
三島の豊富な経験と巧みな論理に裏打ちされた、ブラックジョーク。
そうでありますから、この論を鵜呑みにするのではなくて、
そこから読者は、
日々の生活で自分が何をなすべきかを見出すことが大事なのですね。
この例からであれば、
「恩」という縁に結ばれた二人がいかにして友好な関係を保っていられるか、
そうした問題について改めて考えることもできるでしょう。

お互い話し合ううちに水へ流して、気楽な付き合いを選ぶもよし。
逆に、奉公までしてでも一生恩義を貫くと誓うもよし。
何をするのも、結局は本人同士の意思次第です。
そうした問題提起への足がかりとして、
筆者のウィットに富んだ下品な口ぶりは、その役を果たすのでしょう。
まあそこまで大げさに考えずとも、
肩の力を抜いて単純にフィクションとして楽しむのもいいでしょうね。

感性が合えば抱腹絶倒、間違いなし。
興味を持たれた方は、是非ご一読を。