旅人の手記 三冊目 ‐ 蝉海のブログ -

日常のよしなし事や、マンガ・アニメ・ライトノベルなどのポップ・カルチャーに関する文章をつらつらと述べるブログ。その他の話題もたまに。とっても不定期に更新中。

「如月シンタローの友情物語」として見る『カゲロウプロジェクト』

※ 以下の作品について、核心的な部分についてのネタバレがあります。
 
 マンガ『カゲロウデイズ』1〜5
 (著・じん 作画・佐藤まひろ 刊・メディアファクトリー)1〜5
 小説『カゲロウデイズ』1〜5(著・じん 刊・エンターブレイン
 アニメ『メカクシティアクターズ


 『カゲロウプロジェクト』は基本的に群像劇の様相を呈しており、「誰それのエピソードが本筋である」とは言いがたい構造をしている。あるいはそのような構造になることを、意図的に避けていると言ってもいい。けれども、そのうちのなかでもとりわけ「世界観全体の骨子となる重要な物語軸」というのは、当然存在する。その一つに、「如月シンタローの友情物語」を取り上げることができる。
 これは『ロスタイムメモリーのMVなどで語られているように、この物語群の登場人物の一人である如月シンタローが他の登場人物と交流していく一連の流れを、ストーリーの軸として考える観点だ。シンタローは、公式サイドから「主人公格」とされているだけあって、本作に登場するほぼ全ての登場人物と何らかのやり取りをする場面が描かれており、かつ本作において複数の重要エピソードにおいて、中心的な役割を担うことが多い。
 そして、「友情」という観点から見た場合、シンタローと深く関わってくる登場人物は四人いる。一人はアヤノ。次にエネ。そしてカノ。最後にコノハである。彼ら四人の登場人物との関わりを時系列順に考えて、シンタローはこの物語群において「四つの友情概念の契機」を経験するのである。

第一契機:友情概念の「取得」=アヤノとの出会い
第二契機:友情概念の「喪失」=アヤノとの死別
第三契機:友情概念の「再生」=メカクシ団入団
第四契機:友情概念の「深化」=コノハとの交流

 
以上、四つの契機のそれぞれの詳細と、そこから導き出される総論を、以下考察していきたく考える。


・ 第一契機:友情概念の「取得」=アヤノとの出会い

 楯山文野ことアヤノとシンタローの特別な関係については、一連のシリーズのどれか一つにでも触れた人には、ほぼ説明不要とさえいえる。だが、二人の関係を「友情」として捉えるか「恋愛」として捉えるか、あるいはその両方と捉えるかで、後に起こる物語の解釈は大幅に変わってくる。アヤノとシンタローの関係を、「友情」の側面に重きをおいて考えると、これから展開されるシンタローの物語が「友情物語」であるという風に筋道立てることができるのだ。
 アヤノと出会う以前のシンタローに友人がいた事実は、全てのメディアにおいて描写されていない。本編におけるシンタローのアヤノに対する態度や、それに際する彼の心理描写も併せて考えてみても、アヤノがシンタローにとって初めての友人であることは、ほぼ確定であるといっていいだろう。そして、アヤノと友人関係になったことで彼は、初めて「友情とは何か」を考える切欠を得たのである。こうしてシンタローは「友情概念」を「取得」するに至るのであって、彼の友情物語の第一契機と規定することができるのだ。


・ 第二契機:友情概念の「喪失」=アヤノとの死別

 アヤノとの交流を通じ、少しづつではあるが心を開くようになってきたシンタロー。けれども、彼女の自殺および直前に浴びせかけられた彼女からの暴言(詳細後述)によって、シンタローはこの「友情概念」を木っ端微塵に粉砕されてしまう。これは、彼にとって友情という概念を「喪失」するに至る出来事であった。この一連の出来事を、彼の友情物語の第二契機として規定する。
 アヤノとの死別の後、シンタローが再び「友情」の何たるかを知ることに――「友情」の概念を再生する切欠を得る第三契機は、作中時間で2年後となる。
 この間におけるシンタローの物語を語るにおいては、重要な役回りを担った人物が存在することを忘れてはいけない。シンタローのPCに住み着く、電脳少女エネ(榎本貴音)である。彼女はシンタローのPCに偶然たどり着いて以降、悪戯を繰り返しつつも、彼と悪友的な関係を取り持ってきた。その間の出来事は、はっきりとは描写されてはいないが、「友情」という概念を喪失したシンタローの精神的な支えになっていたことは、〈ROUTE XX〉(後述)とその他のルートを対比すれば、一目瞭然だろう。
 そして何より彼女が、引きこもっていたシンタローを2年ぶりに外へと連れ出したのだ。そのことによって、シンタローはメカクシ団と遭遇することができたのである。つまりエネは、シンタローの友情物語において、第二契機から第三契機への橋渡しという、重要な役割を担っているといっていいのだ。
 そして、シンタローがメカクシ団へ入団するに至るには、もう一人の人物の存在が肝要となるのだ。それは、エネと共に訪れたデパートで強盗団と遭遇した時、シンタローに話しかけてきた人物であり、メカクシ団員のなかで最初にシンタローと接近を図ったカノである。


・ 第三契機:友情概念の「再生」=メカクシ団入団

 カノの話に入る前に、メカクシ団をつくったのがアヤノであるという事実を、最初に抑えておきたい。
 メカクシ団と関わることで、シンタローの中で友情の概念が再生されていくことは、周知の事実であろう。そして、このコミュニティの創設者はアヤノ(入団からしばらくの間、シンタローはこの事実を知らない)であり、「ピクシブ百科事典」内「アヤノの幸福理論」の記事における「アヤノが彼女なりのやり方で守ろうとした居場所が巡り廻ってシンタローを救った」という記述は、私の見方と概ね合致している。

 けれども、ここで再生されたシンタローの友情概念には、ある歪んだ友情関係も内包していたのであった。それが、カノとの関係である。
 カノはよくシンタローに絡んだりからかったりしていて、一見悪友的な間柄に見える。しかし、それはカノの「欺いている」姿であり、心の奥底でシンタローのことを激しく憎んでいることが、小説版5巻で明かされている。目が冴える蛇に脅迫され、カゲロウデイズの向こうへ消えたアヤノの替わりに、アヤノの死体役を演じたカノは、その直前にシンタローに出会っている。そこでカノは、いつも側にいながらアヤノの異変に何も気付けなかったシンタローに対し、「お前のせいだ!」と、アヤノの姿のまま言ってしまうのである。このことで精神的な傷を負ったシンタローは、2年間への引きこもりへと突入してしまうのである。(そうすると、第二契機を作ったのはカノであると言ってもいい)
 アヤノの自殺を止められなかったことは、事情を知らぬシンタローからしたら無理からぬことではある。しかし、アヤノに目の前で消えてしまわれ、かつケンジロウを乗っ取った冴える蛇に脅迫されたカノに、そのことを斟酌する余力はないことも十分納得できる。(とはいえ、逆恨みであることには違いない)

 またシンタローの方も、けしてカノに心を開いている訳ではない。彼とは、本性的に相容れないそぶりを作中において何度も見せているし、上述のルートとは大幅に異なるマンガ版ルート二周目(5巻)の描写においても明らかである。
 このように、二人はとても友好的な関係とはいえない。
 けれども忘れてはいけないのは、カノはシンタローにとってメカクシ団のインターフェース的な役割を果たしているということだ。シンタローとメカクシ団との出会いが、彼の友情物語の第三契機とすれば、カノの役割の重さは推して知るべきだ。
 また、カノはシンタローのことを憎む一方で、彼の人格的魅力について認めているところもある。また時間の経過とともに、アヤノの自殺直後に彼女の姿で暴言を吐いたことも、申し訳なくも思っている。
 以上のように、二人の関係はかなり歪な関係であり屈折している。小説版6巻では、以上の真実が、カノの口から打ち明けられるエピソードが入ると思うのだが、その後二人はどのような関係を築いていくのであろうか(他のルートから鑑みるに、何らかの形で和解するはず)
 これもまた、一つの友情関係とはいえるのではないかと、私は考えたい。

 そして、この第三契機において友情概念を「再生」したシンタローは、彼らとの交流の中で、それを「深化」させていくことになる。その象徴となる相手が、他でもないコノハなのだ。


・ 第四契機:友情概念の「深化」=コノハとの交流

 コノハとシンタローの関係に関する描写は、各ルートによって大幅に異なる。現時点で明確な友情関係が描かれているのは、小説ルートと楽曲ルートの二つだけである。
 しかし、全ての媒体において根本となるルートであろう〈ROUTE1〉と〈ROUTE XX〉の二つのルートが描かれる『ロスタイムメモリー』でのストーリーと、全ルート共通であるコノハの作中世界におけるポジションの重要さからして、主人公であるシンタローと深く絡むのは必至であると念頭に置いておいて間違いはないだろう。
 楽曲ルートと小説ルートにおいてシンタローとコノハの二人は、強い信頼関係を窺わせる描写がいくつかある。〈ROUTE1〉におけて二人で拳をぶつけ合わせる描写(他の団員たちとはハイタッチ)や、小説4巻で自分の危険も顧みずシンタローを助ける描写がそうだ。そして『ロスタイムメモリー』の〈ROUTE1〉が最初の周だとして、かつ解釈のしようによっては、シンタローとコノハの友情がループの切欠の一つになったとすら考えられるのだ。

 〈ROUTE1〉において、黒く染まったコノハが自殺しようとする描写がある。これは人によって解釈が分かれるところだが、「シンタローの友情物語」を『カゲプロ』の一つの軸と考えるなら、私はこう解釈したいと思う。「シンタローを含むメカクシ団のみんなを殺したくないと願ったコノハの意識が、『目が冴える蛇』の意識に介入した」という風には考えられないだろうか。そしてそれを止めようとして、逆にシンタローが被弾してしまう。
 そこから先は『ロスメモ』だと描かれていないのだが、私はこうではないかと憶測してみることにする。これはアニメ版8話のラストで描写されているのだが、シンタローは遥か昔の周で、マリーから「目に焼き付ける蛇」を受け取っている。これは〈ROUTE1〉の後ではないか、と私は考える。つまり最初のループでシンタローは死に、マリーから「蛇」を受け取っているのだ。そしてマリー以外は「もう一度意識を乗っ取り直した『目が冴える蛇』に全員射殺されてしまった」のではないか。そうは考えられないだろうか。

 話がずれたので、まとめに入る。
 〈ROUTE1〉において自殺しようとしたのがコノハの意識だとすれば、またそれを知ったシンタローが止めようとしたのならば、かつこの〈ROUTE1〉が最初の周だとすれば、シンタローとコノハの友情関係は作中世界において、極めて重要なモティーフとして考えられるのではないか。また、〈ROUTE1〉におけるシンタローがそのような行動に至るまでには、シンタロー自身の友情概念を自ら深化させる必要があるだろう。
 以上のことから、コノハはシンタローの友情物語において、彼の友情概念を深化させ、自分の主体性として消化させるのに、重要な役割を担うキーパーソンであるといえるのだ。


・ 総括

 以上、如月シンタローの物語を「友情に関する四つの契機」を踏まえながらまとめてみたが、いかがであろうか。複雑なこの物語群に対して、この観点はある程度クリアな見通しを与えるように私は思う。
 話は少し飛躍するが、私は『カゲロウプロジェクト』の魅力は「メカクシ団」というコミュニティが紡ぐゆるやかな「コミュニティズム」にあると考えている。そして、その土台にあるのが上述のような複雑な登場人物同士の「関係性」なのだ。シンタローの物語は、その現在のメカクシ団のコミュニティズムを作中において描写する一つの軸、そうした意味を内包しているのではないかと私は思う。


・ 補足

 この「シンタローの友情物語」をもっとも描写していないルートは、アニメ版のルートである。カノの逆恨みは全く描写されず、コノハとの精神的なつながりも描かれていない。さらには、他のメカクシ団員との交流も希薄である。もっというと、アヤノとの関係も「友情」と言い切れるのか、アニメ版では微妙である。最終回でのやり取りを見るに、シンタローとアヤノの二人は「恋愛関係」とすらいえることを示唆している。(実際、カノや貫音が冷やかしている)こうなると、上述の全ての契機がアニメではほとんど描写されていないとすらいえる。
 そうすると、アニメ版は「シンタローの友情物語」が描かれなかったルートと考えるべきなのかもしれない。