奈須きのこの『空の境界』と三島由紀夫(二)
仏教には「唯識」という考え方があります。
それは人間の存在原理は、五種類の感覚(五感)とそれを意識する知性、
そして二種類の無意識の領域から成り立っている、という説です。
その二種類の無意識のうちの一つが、「阿頼耶識(あらやしき)」というのです。
「唯識‐Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
「阿頼耶識‐Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%A0%BC%E8%80%B6%E8%AD%98
本作では、登場人物のネーミングや彼らが開陳する思想から、
この唯識及び阿頼耶識が作品のモティーフになっていることが、
分かるような構造になっています。
(しかしその割には、本編において不可解な記述もあるのですが、
それについてここで詳述することは控えます)
そしてこの唯識は、三島由紀夫の絶筆である長編小説『豊饒の海』四部作
においてモティーフとして取り入れられており、
そのうちの一篇『暁の寺』で詳しく述べられている箇所があるほどです。
また三島自身も生前仏教思想・唯識を深く学んでいました。
奈須きのこさん自身が三島を読んでいるかどうかは分かりませんが、
この二者を結ぶキー・パーソンが誰なのかははっきりとしています。
それはミステリー作家の笠井潔さんです。
笠井さんは帯で激励の文章を綴り、かつ本書の解説も寄せており、
本書を読んだ人なら、そのつながりを説明するまでもないでしょう。
そして、彼は安保闘争に没頭した経験もあり、
三島の作品とその思想には大きな影響を受けています。
小説では『天啓の宴』『復讐の白き荒野』に三島の作品の影響が見受けられ、
そして『テロルの現象学』において、その思想に触れております。
奈須さんは笠井氏の熱心なファンであることも知られております。
このことから、奈須さんは三島の影響をある程度間接的に受けたのではないか、
そうは考えられないかと思うのです。
ただ、すぐ前で述べたように奈須さんは三島について何も言及していないから、
事実関係としてはこれ以上何ともいうことはできないんですけれどね……。
追伸:
ちなみに先の記事述べた「魔的」という言葉ですが、
笠井さんも本書に寄せた解説でこの造語を使っております。
「一九八九年一月、昭和天皇の死に直面した八〇年代伝奇小説は、急激な失速と空転の過程に入った。東アジアの占領地で大量虐殺を繰り返した皇軍の大元帥という魔的なイメージが、伝奇小説的な想像力を裏側から支えていた。魔王としての昭和天皇の生物学的な消滅は、天皇を最大最兇の敵役に祭りあげてきた伝奇小説的な想像力に、回復不能ともいえる深刻な打撃をもたらしたのだ。」
『空の境界(上)』P.430